Column

先輩社員インタビュー

CASE 01
1995年入社
東京支店 営業1課長

K.M

関ヶ原の看板を背負った「前田商店」

これが私の仕事

『関ヶ原の看板を背負った前田商店』

私の仕事・・・というよりは、私の仕事の目標を紹介します。大事にしていることは、上司・先輩のクローン人間になる必要はなく、オリジナルの自分を作ること。自分の考え方という【骨】に、教えてもらい(又は見て盗み)実践して、失敗することから学ぶ 知識・経験という【肉】を付け、そして基本方針なる、最も重要な【頭脳】は、先駆者が作り上げてきた『関ヶ原ブランド』を継承し、さらなる不動のものとすること!そんな大きな目標を念頭に、『関ヶ原の看板を背負った前田商店』として頑張っていきます!

だからこの仕事が好き!

さすが関ヶ原!

うれしいことは苦労の上にあるものだと実感した工事があります。あるひとつの現場で問題が発生しました。九州営業所長となり、一番苦労した工事と言っても過言ではありません。

しかし、本社や大阪支店の多くの人たちから、多大な協力を得て完納することができました。お客様からも『問題を発生させたのは認めるわけにはいかないが、これだけ大きな問題を対処できたのはさすが関ヶ原!』という褒め言葉をいただきました。

たくさんの人に迷惑をかけてしまった分、たくさんの方に協力していただき、支えてもらえるしあわせを実感しました。

問題をよしとするわけにはいかないけれど、問題が起き、苦労をしたからこそ得られた喜びだと思っています。

関ヶ原石材を選んだ理由

運命的な出会い

大阪での合同企業説明会で、たまたま座ってみたのが始まりです。将来の夢を具体的に持っていたわけではなく、給料の安定したサラリーマン、営業かな、くらいに思っていたところに、当時の採用担当(現 相談役)の話しを聞き、建築石材という仕事に魅力を感じ、入社しました。入社一年目の工場研修、設計研修・・・。早く営業になりたいのに・・・当時はそんな不満を抱いていました。でもその経験が、今の私の基礎となっていることは間違いありません。自分が売るものを理解せずにお客様に説明できるわけがありません。営業でも技術的なことも答えられる。それが私の強みです。希望の会社に入ることができても、希望の職種に付けるかは分からない。一般的によくあることですが、それも経験となり力となり、自分に返ってくる日がやってきます。

これまでのキャリア

入社後工場勤務、本社工務部門を経て、名古屋営業へ。名古屋時代、数千万単位の工事を数多く受注。

その営業としての魅力的なスタイルを伝えるべく東京へ。30歳で3億を超える工事を受注。

その後、九州営業所長を経て、東京支店営業1課長に就任。

先輩から就職活動アドバイス!

どんな会社でも必ず、苦労もあればやりがいもあります。

周りの無数の情報に左右されるのではなく、自分の信念と責任において悔いのないよう活動してください。